受講生のみなさんの作品を読ませていただき、作品をあいだにおいていろんなお話ができたことは、小説を書きたいという思いをずっと胸に秘めながらも、まだ書き出すことすらできていない私にとって、本当に大きな意味のある経験でした。この経験はなかなか消化できずにいます。なので、この受講生の言葉を書き出すのにもかなり時間がかかってしまいました。

 私が小説を書きたいと思っているのは、小説においては本当にあったこと以外のことを書くことができる、本当にあったことに縛られずに自由に書くことができる、と思っているからだと思います。私は小説に何か広大な自由を感じているのだと思います。ただ、実際に書こうとすると、そのあまりに広大な自由を前にして途方に暮れてしまい、一歩を踏み出すことができなくなります。なので、その広大な自由を前にしても途方にくれることなく、果敢に歩みを進めている受講者のみなさんは本当にすごいと思いました。

 今回の講座に参加させていただいて私が思ったことは、小説というものもやっぱり書き手が本当に書きたいことを書かないといけないのだな、ということでした。「いけない」というのは強い言い方で、小説は自由なのでどんなことを書いたっていいというのは当然そうなのですが、でもやっぱりそれが「よい」ものであるためには、書きたいことがきちんと書かれているべきなのだと、それが小説を「よく」するうえでのひとつの近道なのだろうと思いました。

 私が「本当に書きたいことを書かないといけない」と思ったというのは、同時に「本当に書きたいことを書くということは簡単なことではないのだ」と思ったということでもありました。書き手は、本当に書きたいことを書くということを、本人も自覚せぬままにするっと回避してしまうのだなと思ったのです。

 これは小説に限らず、あらゆる表現において起こることであり、またそうやって自分が本当にやりたいことをやらずに回避してしまうこと自体は、必ずしも悪いことではないとも思います。というか、そうやって回避するときのその人なりのやり方のことを、私たちは表現と呼んでいるのかもしれません。

 本当に書きたいことをできればあまり回避せずに、また回避するにしても「〇〇ってのはこういうものだろう」という思い込みに引っ張られずに、高を括らずに書くということが重要なんだろうなと思いました。

 本当に書きたいことを書くって、やっぱりなかなか大変ですよね。私もいつか小説を書けるよう、がんばりたいと思います。

(金川晋吾)