受講のことば

実は人間だけではなく

すべてのもの、万物が

それぞれの言葉を有するのではないだろうか。

自分達人間だけが言葉巧みに喋るというのは

ただの近代的人類の驕りではないのだろうか。

そういう気持ちが僕をこの数年間

ずっと縛り付け続けていました。

創作センター主宰の

松波先生は鍼の先生でもあり

小説観においても

身体というものを

深く考えておられます。

だから僕は皆で講義を受けていて

松波先生の小説観を聴くのが

なんだか嬉しかったのです。

言葉だけが言葉じゃないんだと

言って貰えたような気がして。

「何も聴いていないなら

   何も書くことなどない」

それが僕のずっと持っていた

小説家としてのなけなしの

矜持のようなものでした。

でももうそろそろ何かを

聴くような予感がしています。

もしその時が来たら松波先生、

僕ら互いの身体を含めた全ての言葉で

また僕とお喋りをしてやってください。

創作センターは基本的に穏やかな授業です。

(勿論その時々の参加者に依るのでしょうが)

興味のある方は是非訪ねられることを

つよくお勧めいたします。

少なくとも僕は愉しい時間を過ごしました。

どうか皆さんの小説にも

良き学びがあらんことを。

小林 大輝


 講師の松波先生によれば、東洋医学の世界には《診断即治療》という言葉があるという。まず何よりも的確な診断こそが大事で、問題点さえ発見できれば、治療する方法は自動的に決まってくるというのだ。小説でもそれは同じだと先生は言った。そこで僕は初めて、自分は書く力はそれなりに育ててきたつもりでも、それを診断する力という存在には、これまでほとんど気を配ってこなかったことを知った。

 オートバイレースのMotoGPというバイク界のF1のような世界に、バレンティーノ・ロッシというレジェンドがいる。彼は最高峰クラスで七度の年間チャンピオンを取った天才ライダーだが、彼の着用するツナギには「THE DOCTOR」という、およそライダーには似つかわしくない文字がプリントされていた。

 もちろん彼は医者ではない。だがバイクを速く走らせるにはサーキットごとにベストなセッティングを見つけることが重要で、そのためにはまず医者のような目でマシンを的確に診断することが大切であると、彼は考えていた。実際にマシンに聴診器を当ててみせるパフォーマンスも話題を呼んだ。

 厳密に言えばレースにおいて医者にあたるのはメカニックだが、彼らは実際にサーキットを走るわけではない以上、マシンの問題点を感じ取り、診断するのはライダー本人でなければ不可能だ。どんな名医にも、診断なしに治療を施すことはできない。だからロッシは、診断をなによりも重視した。彼が走行中に問題点を発見しそれを明確に伝えれば、一流のメカニックたちは確実にその解決策をマシンに反映させた。

 調子の悪いライダーたちはよく、「何が悪いのかわからない」と口にする。診断が上手くいっていないということなのだろう。僕自身もまさに自分の書く小説に対して、そのように感じている時期にこの創作センターに出会った。もちろんその時点の僕は、自分の診断が上手くいってないことさえ、診断という手順が重要であることさえロクにわかっていなかったのだと思う。

 ここでは受講者も講師も、それぞれの書いた作品に深く入り込んでくる。他人の作品を他人のものとしてではなく、自分の作品としていったん自らの身体に取り入れ、そのうえでどこが良くて何が問題なのか、「他人事」ではなく「自分事」として考えてみることを勧められる。

 それは一見すると真逆のようでありながら、自分の作品を他人の作品として捉えることとも通じているような気がする。そしてその両者の手順を繰り返すことによって、自分の小説を自力で診断することのできる自己治癒能力が鍛えられてゆくという実感がある。それはきっとどちらの手順が欠けても駄目で、他人の作品を自分の作品として捉えられない限り、自分の作品を他人の作品として客観的に診断することはできないのかもしれない。

 それは他人の思考回路を自分に取り込んでみたり、自分の思考回路をいったん自分から切り離して眺めてみたりするということであり、そういえば小説というのはその二つの状態を書き記した集積であるようにも感じられる。

 小説を書いてみる人もその改善=治療を求める人も多いが、治療の前には的確な診断がまず必要であることに気づいている人はそう多くない。もちろんここでは自作に対する診断を受けられるのみでなく、合評という形をもって互いの診断力を引き出しあい、そのうえで講師による具体的なアドバイスは自作の体内へと入り込みその治療にまで及ぶわけだが、ただひとり書き続けるだけでは改善策の見えぬ「小説書き」が向かうべきはこういう場所であったのかと、いま通いながらそれをたしかに実感している。

(井上智公)


小説家と鍼灸師と。

『カルチャーセンター』という不思議な名前の小説が刊行されるころ、まさしくわたしはそのカルチャーセンターなるものに二十年近く漬かっていたのです。小説とは何か、そもそも自分の書いているものがなんなのか知りたい。わたしが学んできた場はすべて合評メインです。生徒さんと講師(先生)からなる教室で、講師の方は、元編集者の方だったり、評論家の方だったり、いずれも大学で創作を教えたりされていました。ふりかえってみると小説家のかたから学ぶ機会はなかなか得がたく、それはひとえに小説家の方は自身の作品を書くことに時間を費やされるからだとわたしは思っていました。

 小説家でもあり鍼灸師でもある、松波太郎さんが講師をされている創作センターは、合評方式を取る点では今までわたしが通ってきた場とおなじです。ひとつ貴重な点があげられるとすれば、ここでの時間は作家たちによる「小説」そのものでもあることでしょうか。

 『カルチャーセンター』『月刊「小説」』にもあるように、それは小説が読まれながら書かれるという場の生成に立ち会うことができた、とわたしは実感しました。

 鍼灸はご本人が自身のツボに打つこともできます。けれどもどちらかといえば鍼灸師は患者さんが居て、その方に鍼灸を施していくことになります。

 創作センターはそれとおなじで、自分自身のツボに打つというより、「小説」という患者さんが居て、その患者さんに寄り添う形で的確なツボを打っていく、という……。得がたい生成の場に立ち会うことができます。

 鍼灸院も通い始めたばかりで、まだまだこれからのわたしは、感想も生成途中なので、今後もその場に居合わせることが出来ればと願っています。

 「小説」とは多様な読みがあり、生成途中の「小説」の声を聞き、それを掬い上げること……。講師の言葉も(生徒さんの)「小説」から生まれている、「小説」を数人で囲んでじっと見つめていると「小説」の声が聞こえてくる…、そんな貴重な場に立ち会うことが出来たこと、これからも、ままならない(ひとすじなわではいかない)「身体」と「小説」の声にじっくりと耳を傾けていきたい……そう思える場です。とある生徒さんの「小説誕生」の場に立ち会えたこともなによりの体験でした。創作センターは鍼灸院だけでなく、なんと産院でもあったのです。松波先生と生徒さんは「助産師」でもありました。

(49歳・石川ナヲ)


「まあ、身体が心地よいと思う書き方で書かれるので、文体と身体は関係しあっているでしょうね」。

最初の鍼治療にうかがった際、松波先生からそう言われたのが受講のきっかけです。

マジすか。

おりしも体調不良が長引いている時期で、私は文章関連の職のはしっこに身を置いています。

自分のテキストに感じている限界や苦痛は、身体の不調のせいでもあるのか?
そもそも文体って何なのか?
おそれおおくも小説とは一体何なのか?

全3回、与えられるテーマを自分なりに咀嚼し、無理やり上記の答えを仮定し、表現に挑戦していきました。

その過程で見えてきたものは……ひみつにしておきますが、ひとことで表すと「豊作」。
ふたことで表すと「小説家の読み方、ハンパねえ」です。
(みことでした)。

松波先生ならびに特別ゲストの町屋良平先生、受講生のみなさまからの真摯なご意見・ご感想は、私だけではぜったいに気付けない多角的で個性的な至言なので、私の力量の低さをありあり見せつけられると同時に、のびしろを実感することができました。
まだイケそう。

おそらく、そののびしろは、あらゆる文章に通じていますので、もし仕事が増えましたら、みなさまに「たねや」のお菓子をお配りさせてください。

しかし、一番感謝したいのは、私の文章表現を「作品」として扱い、読んでいただいたことです。その行為自体がセラピーのようでした。ありがとうございます。
この経験は、鍼と同じくクセになっちゃったと思います。
困ったな。

身体と文章をどうにかしたい方は、豊泉堂に来るといいんじゃないでしょうか。

(40代・馬場)


私の頭の中の引き出しーいや、引き出し部屋。

数えるには躊躇し呆然とし諦めてしまうほどの引き出し。

拾ったり買ったり奪ったり貰ったりした多くのかけらを私はそこにしまいこんできた。

時に丁重に、時に無造作に。

何度も開けたり閉めたりする引き出しもあれば

錆びついてしまったかのように開けようにもなかなか開かない引き出しもある。

そんなある日、

引き出しの中でかけらが集まったりしゃべったり争ったり笑ったりしているのに私は気づいてしまった。

中には葬式を出すもの、子供たちを生み育てるものもいてー。

あまつさえ、こんな声まで聞こえてきた。

「ここは監獄じゃないの?」

私はおそれあせりとまどったが

何をなすべきか皆目見当がつかない。

このまま私は、引き出し部屋を私の生とともに葬り去ってしまうのか?

手放す?捨てる?売りに出す?でもどうやって?

気が付けば、かけらを眺めながら私は眠ることさえできなくなっていた。

おりしも、夢の始まりのように

引き出し部屋にひっそりと

原稿用紙のような升目に埋め尽くされた旗を掲げる人物に導かれて

五人の「作者」が入ってきたのである。

「作者」たちは

かけらを興味深そうに見つめては笑ったり考え込んだりメモを取ったり

ポケットから自分のものとおぼしきかけらを出して比べたりしていた。

かけらに話しかけたり私に質問したりする「作者」もいた。

ひとしきり論じてついに立ち去る「作者」たち。

旗が私の顔の前を横切り

「創作センター第十期御一行様」の文字が

眼に飛び込んでくる。

ずっと無言だった先導者が最後にぽつりとつぶやいた一言が忘れられない。

「〇☆▽■△◇□▼XY…」

本当は空耳なのかもしれない…。

けれども、私の耳には確かにこう聞こえたのだ。

『かわいい子には旅をさせよ』と。

とりあえず、「作者」たちを見習って

私はかけらたちの営みを記録することとした。

これからどうなるのかわからないけれど

記録することがめぐりめぐって

かけらたちが自ら出口を見つけることの一助になるだろう。

と、そんな気がするのである。

(60代男性)


小説を書きたい人は、おびえている。

少なくとも、私はそうだ。

書いた小説が読まれた時に

駄目だと一刀両断する心無い言葉を恐れ、

作中のこと=書き手自身と捉えられ

好奇の目で見られることを思うと息苦しくなる。

だから、書いたものを人目に晒すよりは

何にも書いたりなんかせずに

書けたらいいなぁなんて夢想しながら

自分の部屋の布団に埋もれていつまでも隠れていたいと思う。

でも、それだと小説はいつまでたっても書けない。

「書きたい人」のままだ。

その堂々巡りから抜け出したいと思い、

創作センターを受講することに決めた。

創作センターのひとたちは、

良くないと切り捨てて、書き手を置き去りにしたりはしない。

滞っている部分があれば、

何が書きたいのか、どうしたらそれがよりよい形であらわれるのかを、

自らがその小説の書き手であるかのように

深いところから共に考えてくれる。

創作センターのひとたちは、

書き手と小説とを切り離して、小説それじたいを見てくれる。

だから自分の身を守るために

何かを差し引いたり計算したりして、

小説をくもらせる不純物を混ぜ込む必要がない。

小説のことを話し合っている時、

書き手はむしろ消え去って、

小説だけが主体としてそこにくつろいでいるようにも感じる。

ここでは、安心して書きつづけることができる。

創作センターは、「書いている人」で在れる場所だと思っています。


わたしが創作センターを知ったのはツイッターがきっかけでした。

ちょうど小説を書き始めて2年ほどが経ち、新人賞に応募しようか悩んでいた時です。

小さなコンテストに応募したことはありましたが、落選の理由も大して知らされなかったため、自分の作品の客観的な評価というものが分からなくなってきてしまっていました。

特に文体に関しては時制まで混乱してしまう有り様でした。

そうして、第7期第1回の講座にわたしはどきどきしながら訪れました。

最初の印象は「とびきり贅沢な短歌の歌会か、または大学のゼミみたいだ!」というものでした。

それぞれが提出した作品について、他の生徒がコメントし、最後に先生が講評します。

大体ひとつの作品につき30分から1時間ほどをかけてじっくり議論するので、納得がいくまで疑問や不安を解消することができます。

先生の講評は具体的で的確ですし、また他の生徒さんのコメントも多様に読みが分かれたり思いもかけない解釈を提示していただいたりなど非常に参考になるものです。

新人賞に応募する後押しもして頂くことができました。

たしかに小説を読んでもらうという行為は、自分の内臓をとことん見られるようなもので、非常にエネルギーの要る行為ではありますが、それだけのことはあると強く感じました。

次の作品もまた松波先生に読んでいただきたいので、頑張ります。

先生、皆さん、どうぞ来期もよろしくお願いいたします!

(20代女性)     


コロナ禍はわたしに命の使い道を考え直させました。果たしてこの四十余年の人生でやり残したことに何かあるか。死ぬ時に後悔しそうなことはなにか。

あるときふとそれはまだ小説を書けていないことだと気付きました。わたしは書くことにいくばくかの適性があり、それをすることで長年ささやかに口を糊してきました。しかしそれは小説ではなかった。

周囲の人びとにもその思いを打ち明け、しかしなにをどうしよう? それは6月も終りのころでしたが、ほどなく家人が「創作センター」なるものを発見して出先にいたわたしに知らせてきました。

知らされたのは眼科で、受診中だったわたしは眼底検査のためシパシパした視力のままスマホを凝視し、「これである」と謎の確信。のちその日のうちに申し込んだのが第五期で、コロナ禍によるキャンセルがでていたため、わたしの滑り込む隙間が空いていたのはまさに僥倖だったのです。

他人と自分の作品を読みあうという特殊な緊張と高揚をもたらす場。初の創作センターは、コロナ禍という異様な背景による、「久しぶりに生身の他人との会話が楽しめる」という平素ありえない種類の喜びをももたらしつつ、複雑なテンションのまま終わりました。3回の受講を通して頭を使いすぎて翌日倒れる、という自分の身体の弱さも顕在化され、いろいろ思い知った次第。「これである」という発見の髄がここにもあったのだと云えるでしょう。

第五期3回でとりあえず学んだのは、小説というのは良くも悪くも書き手をまるだしにする。底の浅さも厚みのなさも、育ちの良さ悪さ等々もが恐ろしいほど滲み、わかりやすく顕現してしまう創作物である、ということです。こわい。

が、実はそのどうしようもなさダメさみっともなさ、それこそがその人固有のバイアス?スケール?を形成し、固有の作品を生み出しうるオリジナリティの源泉たりうるのだと言える。むしろこれでよしという強い開き直りを以って書こう。

というわけで懲りずに来期も通います。そしてその前に鍼に通います。。

( 40代女性 )


 松波さんと出会ったのは、とある飲み会の席だった。話しているうちに、何やら、⼩説を書いていることが分かり、それも、⼩説に写真まで⼊れてる、⼩説は何をやってもいいんだとファンキーなことを、仰る、俺はこれから⼩説講座を始めると聞き、直感的に⾯⽩そうだと思い、⾏ってみることにした。
 最初は、到着するのに、難儀した。北浦和ではなく、何故か東浦和だと思ってしまい、⽴ち往⽣した。そのあとも何度か。何故か分からない。深層⼼理的に北を嫌っているのか。ともかく、なんとか到着した。接⾻院の登場だ。ここが会場だ。接⾻院で⽂学談議。この組み合わせは、ミシン台で傘が出会うように、新しく、不思議で、新鮮な感覚を覚え、なにか新しい発⾒を期待した。インターホンを押す。登場した松波さん。笑顔が素敵だ。他の受講者もいて、僕と合わせて 3、4 ⼈ぐらいだったと思う。中は、接⾻院らしくこじんまりとしたつくりになっていて、ベッドを机にしてしまうというまた新たな出会い、ここでは、ゆっくりと濃密な時間を過ごせそうだった。
 そろそろ本題に⼊ろうと思いますが、何⼀つ有益なことをまだ書いてないのですが、これこそ、松波太郎の教えの神髄だと、私は、解釈し、書き進めてきました。道草をすること、無駄な話しをすることが、⼤事だと師は説かれ、あえて、禁欲的に師を誉め称えることをせず、情報量を極⼒抑えていたのです。
 授業内容はいたってシンプルで、各⾃、書いてきた⼩説を、松波さんが講評し、⽣徒それぞれが意⾒を⾔い合うといった、いたってシンプルなものです。どこでもできそうなものですが、シンプルなものこそ難しい。料理だってそうじゃないですか。どこの部分が良くて、ここのところがあまり良くない。こうしたら、もしかしたら良くなるかもしれない。あくまで、かもですが。ここまで⾔うには、相当な⼩説の経験と、丁寧な読み込みが必要になってきます。ただ批判したり、絶賛するのは、誰でもできる簡単なことです。現状いい部分と、改善すべき点を教えてくれ、この場所で伸びなかったら、⾃分の問題だと思えるほど、⼩説愛に溢れた場所です。

( 30代男性 )


 「ことばが動きたがっているのに、あなたがそれを押さえつけてしまっている。」

このことばを松波センセイからいただいた時を境に、一切が変わったように思います。2020年2月8日19時33分、創作センター第二回講座でのことでした。

 2016年5月21日1時46分、わたしは病院のベッドの上にいました。急性の胃腸炎でしたが、そのあと、食欲不振、不眠、便秘、手足の冷え、唇のカサつき、などなど、あげたらキリのない身体の不調がわたしを襲いました。何事にも興味がなくなる、外に出たくなくなるといったこころの不調もおまけでついてきました。どこが悪いのか、どうやったら治るのか、病院に行っても分かりませんでした。

 2017年4月8日20時23分、わたしは自室で、とある整体院の方のブログを読んでいました。

 「身体はわたしたちの認識が追い付かないレベルで変わり続けています。」「変化にはいいものもあれば悪いものもあります。」「悪い変化に過剰に反応し、なんとか抑え込もうとしている人が多いのが現代の社会です。」「身体に起こった数々の変化に、いい悪いという判断を下さず、事実として受け止める。事実をもとに、適切な対応をする。対応の方向性が間違えていなければ、それだけで身体はひとりでによくなっていくのです。」

 この人のところに行けば治る、そう思いました。なぜかと問われるといまでも困ります。書かれたことばを通じて身体が目覚めるような、そんな感覚はありました。

 「身体の声を聴いて、それに従ってください。身体は自分のどこが悪いかを知っており、サインを発していますが、あなたはそれに気づかず、間違った身体の使い方、暴飲暴食などで身体を痛めつけている。聴こうと思って生きてこなかったのだから仕方がないことです、これから変えていけます。」

 最初の問診で言われたことです。通院を始めてからは驚きの連続でした。身体は、本当にわたしに語りかけてきていました。たとえば足先のあたりがやたらと冷えてくると、のどが痛くなる。たとえば後頭部に血の流れが止まったかのような突っ張りを感じると、食欲不振におちいる。そうやって身体は、症状として現れてはじめてわたしが認識できるような不調を、もうずっと前から知っていて、わたしに教えてくれていたのです。冷たいところは温めたり、硬いところはほぐしたりするうちに、身体の状態もいい方向へ向かっていきました。

 2019年8月30日13時25分、わたしはカフェで、自分の書いた30枚ほどの小説の推敲をしていました。この形容詞は不適切、っぽい?…… この描写はなんとなく、ダサい…… ことばにできない小さな違和感が身体じゅうにぺたぺた貼りついて、身動きが取れなくなってしまいました。何かがよくないのですが、その見つけ方も、治し方も分からないのは身体と同じでした。

 2019年11月29日15時33分、わたしはオフィスで、創作センターのホームページを眺めていました(仕事をさぼっていました、すみません上司)。

「読むことも一つの創作であるようにとらえていただければ、『書く⇔読む』を通じて、いくらでも力は伸びていくように思われます。」「書くことと読むことの段差もなくなっていきます。」

 この一節がわたしの目を惹きました。小説家で鍼灸師、ことばと身体に真剣に向き合ってきたことが分かる肩書も、自分とは無関係に思えませんでした。

 仕事のあと、センセイの著作の一つ、「ホモサピエンスの瞬間」を読みました。

 「いわゆる肩コリ→首コリ→うつ→脳梗塞→認知症というすでにきまりきったビルドゥングスロマン然とした物語が人間の身体には存在し、一度この物語の主人公に任じられてしまうと、簡単には降板できなくなる。」

 この文章を読んで、松波センセイはわたしの知りたいことを教えてくれるはずだと思いました。身体と小説を似たものとして捉えているようなことばに、自分が分かりたいけど分からない何かがある気がしたのです。

 「小説にも身体と同じようにコリがあると思っていて、このコリをほぐして作品をより良いものしていく、そんなイメージでこの講座を進めたいと思います」

 一回目の講座の冒頭で松波センセイがおっしゃったことです。ああ、やっぱりこの方があの小説を書いたのだなあ、と思わずにやけました。

 講座はとても刺激的でした。自分とは違う嗜好、視点を持った受講生との、それぞれの作品に対する講評を通じて、自分では気づけなかった互いの作品の優れた点、自分の書いた文章が相手に持たせる印象、立ち止まっていたことばの行く末、多くの発見を得ることができました。松波センセイはそれぞれの作品に鋭い指摘を与えるだけでなく、受講生の思考の巡りを促すような問いかけもたくさんしてくださり、そこからまた新たな気づきが得られました。予定の終了時間を過ぎても話は続き、帰るころには頭がじんじんと熱くなっていました。わたしは講座の間じゅう興奮しっぱなしだったようです。

 そして、二回目の講座で、松波センセイから冒頭のことばをもらいました。わたしは、過去のわたしが、身体の発する声を無視していたのと同じように、ことばが発する声も無視していることに気づきました。わたしの肌を粟立たせる作品は、その声にしっかりと耳を傾け、その要求するところに従う、つまり、ことばそれ自体の持つ推進力によって書かれているということも。

 読み方が変わり、書き方が変わりました。どこがどう悪くて、だからこう治した、というようなことが言えないのも身体と同じです。身体もことばも、原因と結果のような、人間が理解できるような構造の外で、勝手気ままに動いているような気がします。それを支配しようとするのではなく、寄り添っていくことが大事なようにいまは思います。

 まだまだことばの声は身体の声ほどハッキリとは聴こえてきません。それでも、かつては読み流した一節が身体を震わせ、書きつけたことばがわたしを知らない場所へ連れていってくれることが増えました。いまはそれがとてもうれしいです。

 松波センセイ、ありがとうございます。

( 25歳4ヵ月 男 )


 2019 年 2 月、私は誕生日を迎え、ぼんやりと、けれど強い気持ちで「いつか小説を書けたらいいな、書いてみたいな」なんて考えていた。そんな頃、私のツイッターに創作センターの募集のツイートが、桃太郎のように流れてきた。こんなことってあるのだろうか。あるのです。しかも場所は北浦和。地元から電車で 20 分ほど。北浦和は大宮と並び、私の高校時代の最寄り駅の一つでもあった。

「近くていいじゃん!」私はその情報をすくい取った。

 しかし創作センターの情報は、当時、ホームページのどこをどう探しても最低限のことしか書かれていなくて、不安だった。でも直感で、きっとここなら小説が書けそう、と思った。とはいうものの、本当に情報が少なくて、事前に受講料を振り込むとき、失礼ながらこれは本当に実在するのかと、かなりドキドキした。

 4 月、第一期の1回目が行われた。参加者は私も含め 3 名。私は小説だかエッセイだかわからないような作品を提出した。それでも、その時に感じたのは、「小説って何て自由なんだ」という開放感だった。初めての小説だった。そこから私の創作が始まった。

 あれから一年。最初は一か月に一作品書くつもりが、結果として一年かけて一作品を作ったことになった。新しいアイデアも最初の作品にどんどんくっ付けていった。そうやっているうちに、私の体調が良くなっていった。特に精神面が安定していった。好きなことに没頭しているからであろうか。そして同時に体力不足も痛感している。小説を書くって体力がいる。体力を付けようと来年度はできるだけ時間を作って、散歩をしようと思っている。

 私は一年参加してみて、参加者が入れ替わったり、ゲスト読者が来たりする中で、少人数ながら色々な意見を聞くことが出来るのが、この創作センターだと思う。書くということは、自分からは止められない、もう私は走り出してしまったのだ。

( 岡田深幸 )


松波太郎さんが商業誌を引退(?)し、鍼灸院を開き、創作講座とサッカー教室の講師をされるという謎の事態を知ったのは2018年のことでした。松波読者であった私は、あまりの情報量に困惑しました。

「もしかして、松波さん流のギャグ…?」

当時の手帳に走り書きされた「□ 松波太郎さん なんなのかかくにん」というToDoリストからも、いかに混乱していたかをうかがい知ることができます。ところがその頃はまだ鍼灸院も開院準備中の段階で、講座も開始前でした。

「調べても、なんなのかよくわからない…」

創作講座に興味があったものの、なんだかよくわからない。門をたたく勇気が出ないまま月日が流れました。しかし、転機は2019年半ばに訪れました。とある文芸イベントに出かけた際、松波さんご本人と遭遇したのです。

「え! 松波太郎さんですか!? え!」

「え? はい、松波です」

そんな感じの初対面で、失礼ながら二言目には唐突に質問をぶつけていました。

「あの、創作センターって、ほんとうにあるんですか…?」

ある、とのことでした。あるのか…あるなら、受講してみようかな。このような経緯でようやく受講生になりましたが、訝しんでいた頃の自分に言いたいです。知ってたなら最初から受講してればよかったのに。講座はアットホームな雰囲気で、一つ一つの作品をじっくり論じ合っていきます。ライフワークとしての執筆への向き合い方から新人賞挑戦に向けての具体的なアドバイスまで、幅広い意見がひゅんひゅん飛び交います。自分の文章をこんなにも「読んで、考えてもらえる」機会って、なかなか無いです。私は長い文章を書くことが苦手だったのですが、この講座が刺激となり、中編・長編に取り組むことができるようになってきました。創作センターはほんとうに「あります」。この講座をきっかけに、良いリズムで小説に向き合うことができています。

( 30代女性 )