概容
とりあえず〝小説〟という言葉の意味を広辞苑で調べてみると、次のような語釈が出てくるかと思います。版によっても異なるかと思いますが、「市中で口頭によって語られた話を記述した文章。稗史 (はいし)」というように大体出てきます。さらにその「稗史 」を調べてみると、「昔、中国で稗官が民間から集めて記録した小説風の歴史書。また、正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。小説」というようにも出てきます。
要は、〝小〟の〝説〟という文字通りの意味でもあるということです。
君主が国家の政治言説などと絡めて一部のインテリにしか理解できなかった〝大説〟とは対になっているようですが、このワークショップでは、べつに〝大〟に傾こうが、〝小〟に傾こうがどちらでもいいです。
間の〝中〟をイメージするような〝中説〟を作るつもりでも構いませんが、他人の創作した作品を読む際にはなるべく間口を開いておいてください。
読むことも一つの創作であるようにとらえていただければ、「書く⇆読む」を通じて、いくらでも力はのびていくように思います。
書くことと読むことの段差もなくなっていきます。
〝小説〟の歴史を踏まえれば、もちろん〝小説〟とは「書く」ことと「読む」ことに限ったことでもないのかもしれませんが。
〝小説〟が発祥した何千年も前に、現在のようなメディア環境が整っていたら、テレビもインターネットも漫画も映画も演劇も音楽も写真も……〝小説〟の中に放りこんでいたのかもしれない可能性を念頭におきつつ、このワークショップではあえて文章をベースにとらえていきます。
文章以外のことに不得手である講師のテクニカルな問題もありますが、あえてそれらのメディアを繋ぎとめる〝言葉〟に目を凝らし、そこから五感に彩られた数千年前の原風景が立ちのぼってくることを望んで。
あるいは、言葉の文字をずっと見つめ続けていると、文字そのものがだんだんと何かの亀裂のようにも見えてくるかもしれません。
その稲光状の文字の亀裂から、〝小説〟という言葉を立ち上げた数千年前の人びとすらたどり着くことのできなかった小説の景観を覗き見られる瞬間も訪れるかもしれません。
なるべく文〝学〟や文〝芸〟といったトップダウン式の価値観にだけ片寄らないようにしたいワークショップです。
心身ともにリラックスした状態でおのぞみいただければと思います。
期間限定になりそうな予感もしなくはありませんが、〝小説〟はこれから先もずっとずっと続いていくものだとも遠く望んで。
こういった講師の一つの〝小説〟観自体も、もちろん受講生の方には一向に無視していただいて構わないワークショップになれば、なお良いと思っております。
さまざまな小説観にあふれた作品をお待ちしております。