カルチャーセンター

私のことは、どうでもいいのです。私は、彼女のことを語りたいのです。

彼女とは「girlfriend」のことではありません。「she」のことです。

「her」と言った方が正しいのかもしれませんが。

(この作品はできれば西原康晃さんに捧げたいんですけれど、これが完成した原稿ってことでよろしいんでしょうか? 誰か)

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「いやぁ、これはかなりキテると思うんだけど、じゃあ次はこの『万華鏡』に入っていきましょうか? たぶん枚数は百枚ちょっとくらいかな、この厚さだと。みなさん手元に準備できましたかね? ちゃんと読んでこられましたかね? どうですか? では準備できたようなので、僕の方から今日は振っていこうかと思いますが……えーと、そうですね、ではタカシマさんからいきましょうか? いかがでしたか、この『万華鏡』は?」

「……そうですね」と返すまでは速かったけれど、次の言葉がなかなか出てきていない。タカシマさんも驚いているのかもしれない。普段は事務的に席順に感想を求めることしかしてこない先生が作為的に順番をつけている。感想を求める前に自身の感想なんかのべたことのない先生が、〝これはかなりキテると思うんだけど〟とまでのべていて〝いやぁ〟という感嘆まで語頭に乗せている。「……何と申し上げたらいいのやら」

 そして何よりこの『万華鏡』という作品にタカシマさんも驚いていて、うまく感想が言えなくなっているようである。

「……そのぅ、まぁ」やはり先生があらかじめ〝かなりキテる〟とまで言っちゃっているから、意見ものべづらくなっていることもあるのかもしれない。「……今まであまり読んだことのない部類の小説で」

 もしかしたら否定の意見なのかもしれない。

「……正直辟易したというのが率直な感想でして。まぁこの場はおたがいに嘘のない感想をかけ合う場だと思いますので、正直に申し上げ続けますと、これは詩に近いのではないかな、と思うのです」

「ほう」という声がどこかからきこえてきた。たぶん先生の口からではないと思う。

「……完全な詩とは申し上げませんが、散文である小説とは一線を画しているのではないかな、と私なんかは思うのです。先生、私のこの考えは古いでしょうか?」

 年齢的にはもしかしたら半分以上下になるのかもしれない先生に向けて、タカシマさんはそれでも恐縮そうにたずねた。

「いえ、古くないと思いますよ」先生の方もべつにこの場がそういった年齢の位相をこえる場であったとしても、年配のかたに対する言葉遣いは社会から持ち越したものである。「詩と散文の境界を見極めるのは難しいと思いますが、その中心部同士はやはり異なりますからね」

「……ええ」

「ではタカシマさんはこの『万華鏡』を散文としては読まなかったということですかね?」というように先生の方からきき返すのもめずらしい。「読めなかったということですかね?」

「……そうですね」タカシマさんはプリントアウトされているA4判の表面に目を凝らしている。「……意味は入ってこなかったですかね、文体や構成の方にばかり意識が向かってしまって」

「文体の方にばかり意識が向けられてしまうのって」とクラス最年長のタカシマさん相手にもスラングのような崩れた口調のまま言葉を挿しこんでくるのは先生ではなく、コールマンさんだ。「小説としてはマイナスってことなんですか?」

 黄という色に対して100%と言うのもなんだかおかしいような気もしてくるけれど、白でも黒でもないということでは100%黄色人だ。ペンネームとかなんだろう。

「……マイナスということはないですが、そうですね、小説という散文の形式としてはマイナスかもしれません、いくら良い文体だとしても長い枚数のものをそのまま読み続けるのは読者には酷ですから」

「小説って長いものってきまってんすか?」

 タカシマさんも言葉遣いにはいちいち言うことはなく、ちょうど対角線上の席にいるコールマンさんに応答し続けている。もしかしたらすでにずっと前に言って無駄だということがわかったのかもしれない。

「……少なくとも詩よりは長いでしょう。コールさん」と呼んでいる。カオルのようにもきこえなくない。「……よく読者のことを考えてみてください。読者のおかれている多くの状況について考えてみてください」

「考えているっつーの」

「……いえ、考えていないと思いますよ、読者の多くは働いているのです、会社に勤めているのです」コールマンさんに会社員の経験がないことを念頭においているようである。「会社の通勤の電車の中で読んでいることが多いのです、物語の吊り革にくらいつかまらせてあげてくださいよ」

「はい?」コールマンさんは彼自身の作品からしてそうなのだけれど、比喩表現や韻文のようなものを無用な文飾とみなしているみたいで、こういうタカシマさんの言い回しも逆に若気の至りのように扱ってくる。「物語の吊り革って何すか?」

「……わかるでしょうよ。こういう日本語表現の面白みのわからない人だな、まったく」たしかに年齢としてはすでに七十、八十の齢にあるようなタカシマさんだけれど、そういう〝おじいさん〟という定型からはずいぶんはみ出しているように見受けられる。「……そういうところですよ」

 というようなことも言ってくるけれど、説教のような凄味はおびていない。眼鏡のフレームがピンクであることもあるのかもしれない。戦時中の軍人のようにもなりかねない髭を逆八の字にねじまげてジェルのようなもので固めていることもあるのかもしれない。

「出たッ! 日本語表現! そういう正しい日本語っていう規範から出られていないから、万年一次落ちなんですよ!」

「……うるさいですね」

「見た目や恰好だけ規範から出ようとしていても無駄ですから! 書類ですから、小説は!」

「……コールマンさんもそうでしょう」

「いえ、私は二次も三回ありますから」

「……二次なんて一次と大して変わらな……」

 という語尾をまさに本物の尾のように見立てて噛みついていく。

「いえ、全然違いますよ、一次と二次はッ!」

「……そうですか」誰彼かまわず先生に対してだって語尾を追い回していったことのあるコールマンさんの癖を熟知しているのだろう。「……ええ」

 と口数を少なくしていっている様子のタカシマさんからそのままコールマンさんに少しずつコメントの順番も移っていっているようにも感じられる。

「全然違いますから、一次と二次はッ!」

「……ええ」

「あくまで小説の賞なんですから、書類だけで勝負しないとダメですよッ!」

「……ええ」

「一緒に顔写真とかも送ってくる応募者もたまにいるみたいですけど」どこできいたんだろう?「小説だけでちゃんと勝負しないとッ!」

「……これはもともと」

「奇をてらってもダメですから!」

「……もともとですから」

 というように途切れ途切れに返した言葉には独り言じみた調子と実際のボリュームがあって、独り言で嘘をつく必要なんてないはずだ……という誰かがすでにこしらえたような見地からすると、たしかに〝もともと〟のように感じられる。このような一風変わった恰好もそうだけれど、日本語に対するこだわりや巧い言い回しにやや翻弄されているような文飾の一切にも何か切実なものが見えてくるようにも感じられてくるけれど

「本当に〝もともと〟ですかねぇ」コールマンさんはそこまで推し量っているようでもないのに、さながら人身攻撃のようにまでなりつつあった自身の発言を突然改めた。「あ、なんか、すいません」

 〝ですかねぇ〟という自身の言葉に嫌味を見出してしまったようで、自己嫌悪のように陥りだす。獰猛とも動物に喩えてみてもいいくらいに乱暴でありながら、繊細な人ではあるのだ。

「ちょっとイジワルな言い方になってしまって」

 内容よりも言い方の方を詫びた感性をもつコールマンさんらしく、『万華鏡』の方も論じていく。

「作品に話を戻すと、私個人はとても興味深く読みました。リズムやテンポと言うと安易かもしれないすけど、まぁリズムやテンポって言うしかないんだろうな、うん、ずっと最後まで楽しんで読むことができました」毎月の文芸書の新刊から文芸誌まできちんと読んでいることを豪語しているコールマンさんがここまで褒めているのはめずらしい。口調そのものもいくらか改まっているように感じられる。「私でもあまり読んだことはなく、とても興味深かったです」

 それでも〝興味深い〟に終始していて、これ以上のコメントを言うと自分が負けになるというような克己的な部分もかいま見えている。

「また細かいことは後で言うかもしれないけど、まずはざっとこんな感じの感想で」

 コールマンさんとタカシマさんが少し口論のようになった時には仲裁にも入ってこなかった先生がここで一度引き取り、次の人に感想の順番を振る。

「じゃあ次はイツキさん」名字なのか名前なのかはわからない。「どうでした?」

 一体どういう順番で先生はあてていっているのだろう……コの字形に先生を囲んでいる席順でかけることはまれで、口を挟むタイミングも含めてこだわりを感じさせてくる。

「……んー」

 というような日本語でもないような、どこかの国の言葉のようにもうなりだしているイツキさんに対しては、先生の方もずいぶんと敷居を下げてたずねている。相手が女性だからというようなことではないと思う。

「この作品は読んできましたか?」読んでこないことがあるのだ。「イツキさん?」

 べつに何かに忙しいからというわけでもないそうで、正確にはきちんと冒頭の数行は読んできている。その頁もまたがないわずか数行で判断を下しているらしく、最後まで読めたとしたらそれは相当な作品なのだと、たしか前回か前々回に言っていたけど

「……三行しか読めませんでした、先生」べつにそれによって作品の善悪や高低まで決められるものでもないんだろう。「……すいません」

 とまで言って頚椎が少し悪そうに角張った動作で頭まで下げてきているけれど、ただ単にイツキさんの感性に合わなかっただけのことである。

「……あたしには合わなくて」と本人も語をついでいる。「……ここに来て一番かもしれません、合わないということで言ったら」

 もはやアレルギー反応にすら近いような〝読めなかった〟という現実も、一つの感想のように受けとめて、先生は順番を次に振った。

「なるほど」小説においては強烈なアンチの存在もまたその小説の真価を高めるというような旨のことは、たしか前に言っていたと思う……あるいは、そういう旨のことに行き着きそうな出発点のようなことだけしゃべって、こちらの脳裏や夢の中等で勝手に動きだしていたのかもしれない。「じゃあ次はカラスさん」

 ともあれアンチだけではもちろん成り立たないので、強烈な信奉者も必要となる。

「すごく良かったです! 非常に素晴らしかったです! 先にやられたぁ、という感じです! はい!」こんなに座高が高かったっけかな、というくらいに腰を少しもち上げた空気椅子のようになっていて、離陸したロケットのように声もしばしば裏返っている。ここがもともと八階の高さにあるという高揚感もいくらかあずかっているのかもしれない。「でもわたしには思いつけないようなもののオンパレードであって、でも目の当たりにしてみると今後自分が思いつけそうな感じがするというか、馴染みやすさがあるというか、たぶん必然性があるっていうことなんだと思うんですが」

 作品について語り続ける口調にも『万華鏡』のような勢いがあって、先生もついたずねてみたくなったんだろう。

「とくにどのあたりが?」

「えーとっと、そうですね、あぁ、この七頁の所なんかはわかりやすいと思いますが」

 ここを指していると思われる。

 彼女は昆虫が好きでした。気持ち悪い、気持ち悪いと言いながら、結局は気になってしょうがなかったようです。だから私は、あえて彼女は昆虫好きだったと言います。彼女が特に気になっていた昆虫は蟻です。彼女は蟻を見ると、

 きゃー

 とは言いませんでしたが、

 わあ

 と心の中で呟きました。彼女の家の近くには、空き地があり、150センチ近くある草がボーボーに生えています。

                草草草草草草草草草草草草草草草草草草草

                   草草草草草草草草草草草草草草草草草草草草草草

                      草草草草草草草草草草草草草草草草草草草

                    草草草草草草草草草草草草草草草草草草草草草

                                        蟻

                                        蟻

                                       蟻蟻

                                       蟻

 そう、草の下の方からは蟻がうじゃうじゃ出てきています。彼女はスーパーに行く前に、いつもこの光景を見ては、

 わあ

 と思って歩いていきました。彼女がわあと思ったのは……

「こういう字を使って一つの大きな図を表すっていうようなことは、わたし達が普段使っている漢字っていう象形文字の縮図であって、構図であって、原形であって、原風景であって……」というように似た意味の言葉が同じスタッカートのような〝って〟で連続しだしたところで、合っているんだよねこの作品には少なくとも、というように先生が故障を直すようにニュートラルな声を挟んでくる。「ええ、そうなんです」

「僕も時々こういう一風変わったことをしてくる作品とかに出くわすんだけどさ、下読みとかで」先生は〝下読み〟と呼ばれる一次選考の読み手もやっている。「それこそ作品の中に顔写真みたいなのを入れてくる作品とかもあるんだけれど、大半は合っていないんだよね。ただ作者がやってみたいだけっていうような」

「作品本位ではないっていうことですよね?」

「うん、そういうこと」と生徒と先生の垣根など最初からないように先生は友達口調のように返していく。「まぁ中にはそのやってみたいだけな感じが作品全体のナルシズムや自我がはみ出している感じとマッチすることもあるからさぁ」

 そもそも〝先生〟と呼ばれることをあまり好いていないらしいのは、そういう垣根が邪魔ということもさることながら、呼ばれるとどこぞの教祖みたいになっちゃうというような旨のことは一度だけだったけれど、はっきりと現実に言っていた記憶がある。

「一概には言えないんだけどさぁ」

 有名な宗教の会長と同じ名字で先生は評論活動もしている。

「例外の連続っちゃあ」という〝ちゃあ〟のあたりが先生の口癖だと思う。「連続なんだけどさぁ、小説の読みって」

 小説を読み合う場においては師弟のような関係は無駄だというメッセージのようにも受けとめられ、本気で〝先生〟と呼んでいる受講生はいないように思う。

「でも、先生」とあだ名のように呼んでいるだけで、反対意見もじゃんじゃん言える。「やっぱり小説は言語芸術だと思うので、オレはあんまり」

 と次に感想をのべてきたのは、ハチノヘさんである。おそらく八戸という漢字をあてるように思われるのは、時々訛りが出て、その訛りを即座に言い直しながらしゃべり続けるからである。

「いくら文字の起こりが図や絵だったとす……しても」途中で目に入ったゴミを払いながらのようでもある。「だったらずっと絵を描いていればいいわけで、わざわざ文章を書かなくてもいいじゃん」と横浜の方に寄りすぎても直すようである。「書かなくてもいいかなと思うのですが」

「なるほど」

 と先生も聞き入っているようである。

「ルール違反が多くて正直オレはこの『万華鏡』にうんざりしたけど、まぁでもべつに最初にタカシマさんがおっしゃったみたいな、物語の革ベルトでしたっけ?」

「……吊り革です」

「あぁ、すいまへん、すいません、べつに物語がないとはまったく思いませんでしたよ、この作品には確実に物語があるわけで」

 作中の文言をそのまま借りれば〝スーパーに男が潜んでいて、パートの女性に襲いかかる。パートの女性は傘で犯人に反撃し、殺してしまう。もちろん正当防衛が認められる〟といった事件から始まると言っていいと思う物語である。

「問題なのはその物語の意味が素直に入ってくることを邪魔する語り手の位置や視点がコロコロすることで」

「うん」

 ときれいに相づちを打って返されたことで、かえって自分の断定に疑念が生じてきたようである。

「……うん?」一般よりも猜疑心が高くつくられているんだろう。他人からの褒め言葉の類も裏があるんじゃないかとすぐに勘繰ってしまうアレである。「……なんか違ってますかね、オレ?」

「いや、感想は思ったままをそれぞれ言えばいいと思うよ」

「……まぁたしかに」と少し思い直したようである。「……ちょっとしゃべっている内に興が乗ってきて勢いがついてきちゃって、事実からは少しズレちゃったかもしれません」

「へえ」

「……でもいくら何でも語り手がコロコロしすぎじゃねぇでしょうか……」

 訛りは出ているのになかなか言葉が出てこなくなったところで隣の席のヤマダフミコ2世さんがバトンを受けるように継いだ。

「この作品はありがちな詩と散文の問題というより、やはり語りや構成の問題ではないでしょうか?」それでも本人にはまだ自信がないらしく、ごめん、もう一回言って、と見た目は母と子くらいに差があるように思うコールマンさんが崩した口調のまま催促した。「……メタフィクションぽくなったと思ったら、文章が急に詩的になってきたり、日本語でもないようになってきたり、改行ばかりになってきたり、一字下げ等も統一されなくなったり、回想になったり、また論理的になりだしたり……」

 と尻すぼんでいって、最後の方はほとんどきこえなくなっていく。あえてこのようにしている可能性もなくはなく、すでに一作品にかける目安の時間に迫りつつあるのである。

「それでも私としてはとても面白く読みました。もう少し誤字脱字と物語のつじつまを整えればどこかの商業雑誌に載ってもいいんじゃないか、というくらいです」

 と端的に締めくくったのは、自身が提出した作品について講評してもらえる時間がなくなることを見越してなのかもしれない。

「自分には読みづらかったです。登場人物等のメモをとりながら読んでいたのですが、イマイチつかみづらかったです」ササさん。

「余白や改行の使い方も斬新で、音楽の楽譜のようにも読めて、心地良かったです」ナガハラダヌキさん。

「ちょっと今回はパスさせてください。最後まで目は通したんですが……」ジョーさん。

「殺人とか、おばあさんとか、病気のこととか……倫理的にどうかと思われる部分もありましたが、構成によってうまく散らされているのかなと思いました」リンダさん。

「ちょっと青臭く感じられなくもない部分はありましたが、そのちょっとした青臭さも作品には合っているように感じられました」トコロさん……

 皆端的に感想をのべているけれど、普段は適当にきこえるおざなりのようなコメントとはかなり異なっていて、はっきりと真っ二つに賛否が分かれている。個々人の実作に際した姿勢まで問われているのかもしれないとふと思ったところで

「じゃあ次はマツナミくんはどう?」

 とようやく僕に順番が回ってきた。最後から、二番目か三番目……

「……はい」何となく先生の受講生に対する期待順のように感じられなくもない……「……えーと」

 ここまでの作品に対する賛否はまさに賛・否の順番でジグザグになっていたので、本来否をのべるべきなのかもしれないけれど

「……もちろん僕は賛です」

「サン? あぁ賛成の賛? いや、べつに賛成か反対かをきいているわけじゃないから」と僕に対しては先生から厳しいツッコミが入る。「投票の場なんかじゃないから」

「……ええ」

 この二人のやりとり自体を時間のムダのように感じている人も少なからずいるだろうから、僕も端的に答えることにする。

「とても素晴らしい作品だと思いました。このまま新人賞をとってもいいような作品に思いました」

 端的にのべたことで、かえってパンチ力がついてしまったようであるが、僕は誇張して言ったつもりはない。本当にそう思ったのだ。

「そうか」そして先生もきっとそう思っているのだろう。「わかった、じゃあ次は……」

 ただ読み手として楽しんだだけではなく、書き手としての楽しみも教えてくれたように感じる小説で、作者に感謝の言葉までのべておきたいところだったけれど、順番はすでに次に移っている。きっとまたどこかで言うタイミングがあるだろう……

「マツナミくんが言ったように新人賞までとるかはわからないけれど、いいセン行くかもしれません、推敲も重ねて」

 とカッキさんがのべた後に、たしかに下読みでどういう人間にあたるかはわからないけれど、と前置きした上で、先生は『万華鏡』の講評を締めくくった。

「かなりキテる小説であることは間違いないから、応募したとしたら受賞する可能性もあるっちゃあある」

 そしてここでようやくこの『万華鏡』の作者の名前をだしたのである。

「いいかな、これで、ニシハラくん」

「はい」

「何かニシハラくんの方からみなさんにききたいことはある?」

「いえ、大丈夫です」賛と否の間に入れるように頭を最後に下げる。「ありがとうございました」

 とコールマンさんよりもさらに若いこの中で最年少の十九歳だというのに礼儀正しい点などは、作品評価は別として、受講生の誰からも〝賛〟だったように思う。

( 続きは全集一郎にてお楽しみください )