イベリア半島に生息する生物

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 母親の体内にいたときのことはさすがにまったくおぼえていないのですが、ほら、今おなかのあかちゃんが蹴ったとは言うのに、叩いた、突いた、パンチした、とは言わないことまで最近の自分は遡って考えるようになっており、何かを蹴りたい本能がヒトには先天的に埋めこまれていて、ときどき意識の間隙をついて姿を現すのだと思います。

「ちゃんと考えながら行動しろ」

 そういった本能をおさえこもうとする頭には、埋めこまれていないのだと思います。

「ムダな動きはするな」

 世間と一番近い所で接してちょくちょく状態を変える皮膚などの浅い場所ではなく、もっと体内の奥深い所に本能は埋めこまれているのだと思います。

「ムダな動きはするなよ」

 皮膚でつつみこんだ頭をサッカーボールと見立てて思いきり蹴りとばしたい気分にかられることもありますが、意識をきちんと保っていれば、そのような気分にかられることはめったにありません。

「わかったか、タロー?」

 自分ももういいかげん高校生になったのだからという自覚があるいはめばえてきたのかもしれません。

「……はい」

 コントロールするとおりに動かない自分の体というものを最近では恥じ、たまたま誰かの目の前でそのような動きをとってしまったときにはいたたまれず、弁解することばかりに頭が働き、皮膚も紅潮するのが自分でもわかります。

「それで、なんで今首のばしたんだ?」

 自分の体すべてを臀部と見立てた尻拭いをする気分におちいります。

「……えぃーっと」

 自分の首がかってにのびてしまった瞬間、やっちったと思い、すぐさま弁解の言葉を考えましたが、そうかんたんには思いうかびません。

「なんでだ? 何か理由があるんだろ?」

 体がかってに動いただけの話です。

「いや……ええまぁ」

 体のほうが正しい答えを知っていることもあり、その目的や理由を考えたりもしますが結局わからず、頭で弁解の言葉ばかり考えるのです。

「もしかして〝体操〟か、タロー?」

 自分がこのように弁解の言葉につまっていると、自分の体の動きを目のあたりにした相手の方が助け舟をだしてくれることがあります。

「……そうです、体操でした」

 その場をうまくやりすごすという意味では助け舟ですが、もちろん自分にそのような明確な意図があったわけではありません。

「そうか、体操だったのか」

 自分の体が勝手にした動きに〝体操〟という名前があてられ、さらに〝首の伸縮運動〟や〝クールダウン〟といった細かい名前もあてられ、檻をどんどん狭められる感覚を味わうことになります。

「……ええ」

 そのように一つ一つに名前をあてていくことで一つまた一つと未開の動きがへり、自分は〝ヒト〟から〝人間〟に着実に進化をとげているきもちになることがあります。

「クールダウンの体操だったら、今やるな、わかったかタロー?」

 それでも完全になくなることはないように思います。

「……はい」

 心の中ではそれでもいいようにも考えており、心おきなく体の動きにまかせることのできるこの物事をはじめたのだと思います。

「今がどういう状況かわかってるよな?」

 ただ最近は日常生活よりも体の動きの縛りがきついように感じています。

「……はい」

 今日の結果の責任の一つが自分にあることは自分でもよくわかっています。

「試合中も、ムダな動きが多かったからな」

 体の動きの縛りについて感じるのは、とくにこの高校に上がってからのここ最近のことです。

「……はい」

 根本的なことに思考がすぐにおよんでしまうのです。

 何故自分はこの物事に一日を通じて最も多くの時間をさいているのか。

 何故自分はこの物事に最も多くのお金をかけているのか。

 何故自分はこの物事を無償でやっているのか。

 何故自分はこの物事をしているのか。

 何故自分はこの物事をはじめたのか。

 現在の自分においてこの〝物事〟とは、サッカーという、名前自体が専門用語のようなスポーツのことをさします。

「イレブン一人一人がムダな動きをなくして、チームとして一つのサッカーを結実するんだ」

 この丸くて白いボールを蹴ることすら、最近では労働のように感じることがあります。

「わかったか、一年生、二年生!」

 受験勉強のために三年生の大半はすでに春で引退しており、今日の試合に出場したのは一・二年生主体でした。

「こんなまとまりのないこんなサッカーをずっとしていたら、三年生に示しがつかんだろ?」

 三年生で出場したのは二名のみで、今日の試合の敗北により引退となりました。

「一・二年は今ここで筋トレやれ」

 三年生引退の感傷をこえるくらい、今日の試合のふがいなさに監督ははらわたが煮えくり返っているようで、三年生以外の一・二年全員に筋力トレーニングを命じたのです。

「全身の筋肉を鍛えて、自分の体をきちんと調教するんだ」

 いつも練習後におこなう腕立て伏せ・スクワット・腹筋・背筋の筋力トレーニングを三セットおこなったあとで、さきほどの自分の〝ムダな動き〟へのダメ出しのみでは不公平と感じたのか、試合に出場した一人一人に注文をつけます。

「コーキ、ドリからシュートのテンポ、もっと速く」

 ただでさえ専門用語の臭気のする単語を、ドリブルは〝ドリ〟、ダイレクトは〝ダイレ〟と、さらに省略していきます。

「オグヒロ、ダイレではたけるところはダイレではたけ」

 何故自分は今この場所にいるのか。

「ハマ、トラップしっかり」

 何故自分は今この場所にいるのか。

「クニカズサトウ、ムダなファウルはするな」

 何故自分はボールを蹴りはじめてしまったのか。

「ドナドナも、ムダなファウルはするな」

 サッカー自体は、ほかのスポーツより〝なんか自由そう〟と気軽に考えて、小学校三年生からはじめたのです。

「タカハシ、ムダなフェイントはするな」

 もしその当時に演劇、ダンスなどの選択肢があったらそっちを選んでいたかもしれません。

「カツ、パスが雑だぞ」

 中学校の時には県の選抜選手にも選ばれ、今日対戦した高校やほかの強豪校からも推薦入学の誘いをうけていたものの、入学したのはサッカーに関しては大した実績のないこの高校でした。

「ワンくん、もうすこしだけオフサイ気をつけてな」

 県選抜としていろいろな選手を目にしたことで自分は身のほどを知り、全国大会に出たい等の向上心はなく、ボールを蹴って楽しめそうな高校を選んだつもりでした。

「タカトシンイチロウ、キャッチとパンチングの見きわめしっかり」

 しかし実際入学してみると、自分のほかにも市や郡の選抜選手等が偶然入学してきた学年であり、次々と細かい戦術をもちこんで全国大会出場をめざすようになったのです。

「クリキン、相手のフクセンを読みちがえるな」

 〝フクセン〟とはもとはサッカー用語ではないそうで、相手の企みの前触れといった意味なのだそうです。

「タク、お前のオーバーラップ相手に読まれてたぞ」

 良いチームというのは、そのフクセンを一人一人が相手に読まれないことにあるのだともよく言います。

「ノブ、常に頭上げて視野確保しながらサイドチェンジな」

 自分と同じ一年生が今注文をつけられている〝サイドチェンジ〟の問題は、自分も持病のようにずっとかかえています。

「サイドチェンジに関しては、タローもだな」

 県の選抜ともう一つ上の選抜や日本代表との決定的な差がここにあるのだということは、自分でもわかっているのです。

「フォワードでもサイドチェンジは必要だからな」

 簡単に一言で言うと、テレビの映像のような、自分一人の体から離れた俯瞰した視点をもっているか否かの問題です。

「わかったか、タロー?」

 地上世界で目の前の相手と対峙するとついつい勝負したくなるのだけれど、傍から見ているとその狭い勝負の先には何もない。

「わかったか、おい、タロー?」

 ガラ空きになっている反対サイドの味方の状況を察知し、この勝負の負けを潔く認めて、反対サイドまでボールを蹴ることができるか――これを文字どおり〝サイドチェンジ〟と言います――これは空間を正確に把握する視野の問題とも言え、先天的な〝才能〟によるところの多い力だと思います。

「きいてんのか、おまえ」

 ボールあつかいは毎日触れていれば県の選抜のレベルくらいには簡単になれると思うけれど、この視野の問題に関しては常に注意をはらっていてもなかなかうまくいかない部分があります。

「ちゃんと返事をしろ」

 たとえば、自分では問題だと重々承知しておきながら、自然とサッカーのことばかり考えて〝サイドチェンジ〟のタイミングを完全に見失っている、今の自分のような。

( 続きは全集にてお楽しみください )